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最近の雪山登山中の遭難に思うこと/野外活動の事故/捜索、救助、安全に関して

最近の雪山登山中の遭難に思うこと/野外活動の事故/捜索、救助、安全に関して

2013年1月5日


2012年末から2013年始に掛けて、平年を超える積雪量のために動けなくなったり、遭難したりする事故が多発しています。現在も、行方不明の方々がいらっしゃいます。

本人はもとより、ご家族の心配はいかほどなものだろうか。早く無事に生還して頂きたい、と願います。



事故は冬山だけではなく、夏にも起こっています。


1999年に神奈川県玄倉(くろくら)川の中州でキャンプをしていた人々が、大雨によって増水した川に流され、13人が死亡しました。捜索には、述べ5,500人の自衛隊員と警察官(朝日新聞)が動員されました。

Wikipediaへの記載ですが、救助・捜索費用に億単位の金額が掛かった、とされています。



私の専門は野外教育や Experiential Education なので、安全管理には非常に強い関心があり、常に配慮していることです。


私の推測ではありますが、日本人は安全は無料で確保されるものである、という考えであり、アメリカ人は自己負担、自己責任だ、という考えです。

救急車が特徴的であり、日本は無料で、アメリカは有料です。



事故は無い事に越したことはないですが、意図的に事故を起こす人はいません。意図的であれば、それは事件です。

これも個人的な見解ですが、日本では「事故は起こすべからず」であり、アメリカは「事故は起こるが、その後の対応を考えておくべき」という考え方です。

アメリカは「訴訟社会」であると言われていますので、そのこともこの考え方に表れているでしょう。



自然を楽しむと、負荷が低ければ、気分転換にとても良いですし、リラックスできます。

自然を楽しむと、負荷が高ければ、挑戦する思いに火が点き、成功すれば達成感が得られます。



私がミネソタ大学大学院で野外教育を学んでいたとき、指導教授は Dr. Leo McAvoy でした。

彼は、"You're Losing Your Right To Be Alone [あなたは、独りで自然を楽しむ権利を失いつつあります(意訳)]"という文を発表しました。(1984年9月 Backpacker

その中で、「no-rescue wilderness(救助をしない原生自然地域)」を提唱しました。

彼は、すべての捜索・救助(Search and Rescue, 以下 SAR)を否定しているものではなく、SARが実施されない地域があってもいいのではないか、というものです。



どのような地域であるかを彼は以下のように述べています。

・小道(トレイル、Trail)がない

・設定されたキャンプサイトがない

・看板がない

・橋がない

・森林保安員(Forest ranger)の小屋がない

・その地域に入るための場所(エントランス)が限定されている

・そのエントランスで、基本的な情報は入手できる
  ・その地域の関する情報
  ・リスクに対する考え方
  ・SARは実施されないこと

・これらを基に、SARが実施されない地域に入るか否かは、本人が決める



Leo McAvoyは、これらの地域を以下のように述べています。

・個人の自由と責任の最後の砦(とりで)である

・本物のアドベンチャー、挑戦、リスクが体験できる最後の楽園である

・人間の魂(スピリット、Spilit)の最後の楽園である




これを読んでくださっている方の中には、「なんともアメリカの個人主義の考え方だ」と思われる方もいらっしゃると思います。

私も、授業で教授からこの話を聞いた時には、「そんな乱暴な!」と思っていました。



しかしながら、勉強をしたり、州立公園で一人で冬キャンプをしたり、原生自然地域でキャンプをしたりしていると、「ソリチュード(solitude)」の大切さを感じるようになりました。



Solitude とは…

英和辞書(ジーニアス)
(だれにもわずらわされず)ひとりでいること;独居、孤独;(生活・場所などの)寂しさ;(場所などの)隔絶

どこかネガティブな響きを持っていますが、英語では以下のように示されています。


英英辞典(ロングマン、オンライン
when you are alone, especially when this is what you enjoy
[人が一人でいるとき。特にそれが人に人にとって楽しみとなる時]



solitudeによって、日常生活を振り返り、自分自身の生活を振り返り、自然のサイクルの中で生活し、社会が作り出した束縛、時間制限、プレッシャーから解放され、疲れた心身を休め、英気を養って、そして日常生活へ戻っていく。

その過程で、自分自身は何者か、自分の生きている意味は何か、自分の今後はどうしていくのか、なども考えることができるでしょう。


日本語でも、「内省(ないせい)」や「内観(ないかん)」という言葉があります。

それを可能にする、もしくはより促進させるものが solitude である、と私は考えています。

実際に、私が一人で野外活動をしているときに、上に述べたような感覚を持ちました。




SARに関しては、多くの人々からは賛同を得にくいものだと思います。

「人の命が掛かっているんだ」

「お金持ちだけ命が助かるのか?」



日本でSARが実施されるとき、よく報道で聞くのは

「天候の回復を待って」
「日没と共に捜索を終了」
「朝になってから捜索を再開」


子どもの頃には、「なんで捜索を続けないの???」と思っていました。

しかし、二次事故を避けるためには、当然の判断です。



捜索でよく用いられるのはヘリコプターです。

ヘリコプターは、有視界飛行という飛行方式が主流で、視界がない悪天候や夜間などは、公的な機関であってもヘリコプターは飛べないそうです。

むしろ、業界に詳しい仲間の話では、日本のヘリコプターパイロットで、視界が良くない時に飛ぶために使われる計器飛行をしても許される証明(免許)を持っている人はほとんどいない、とのことでした。

ドクターヘリも同様です。天候、視界、時間帯によっては飛行しません。


二次事故を防ぎながら、SARを継続する策はあるように思えます。



また、そもそも野外活動をする人は、リスクがあること、適切な資器材を用いること、経験がある人、などのことを真剣に考えなければいけません。


「リスクマネージメント」という言葉は、企業の言葉としてよく用いられています。


それを個々人にも伝え、広め、「自助」ができる範囲では自助をしていかなければいけないものだと思います。


詳しくは言及しませんが、私は「危険」と「リスク」は別物として考えています。 ざっくり簡単に言うと、危険はダメ、リスクは残すべき、です。
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