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【くまプロジェクト】宮城・山元町 普門寺の整備をしに行きます

本日から土曜日まで、宮城県山元町へ行ってきます。

参加者は、学生10名、卒業生1名、私、の計12名です。

現在、栃木県の上河内サービスエリアで休憩をしています。

浦安を出発してからこれまでに、車内で3グループに分かれて自己紹介をして、次に全員に対して、自分のグループの人を紹介しました。




ここを出発してからは、私がくまプロジェクトのことや、これまでの活動などを説明する予定です。

いってきます!

中山恵一(くま)
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【くまプロジェクト】宿舎、仮本堂の駐車場を整備しました

2012年10月27日


朝8時台から山元町内の見学を開始しました。

時間を区切らず、学生が納得するまでその場にいました。

11時過ぎに、津波直後の写真が残る普門寺に着きました。

普門寺では、住職から学生がお話をしていただき、津波で倒されたお墓から流れたお骨が混ざった砂で住職が築いた塚を見学しました。


被災された方で、普門寺から遠くないところでプレハブのお弁当屋を再開された きく邑 で、お弁当を買い、昼食を摂り、作業を開始しました。


2人と3人に分かれ、駐車場にコンクリートタイルを敷いていくことと、仮本堂入口に屋根を付けることをしました。


開始前








終了間際







仮本堂入口の屋根は、波板を打ち付ける土台を固定しなければならなかったので、あまり広い範囲は設置できませんでした。

駐車場は、地面が粘土質の土だったため、水平にすることはできませんでしたが、雨が降ってもドロドロにはならない程度にはなりました。


学生は、18時から普門寺で毎週開かれている住民の会合、土曜日の会、に出席させていただきました。

その内容は、学生から報告いたします。

中山恵一(くま)

【くまプロジェクト】山元町内を見学しています

宿舎での作業前に、初めて山元町を訪れた学生がいますので、山元町内を見学しています。


宿舎を出たすぐのところにある家です。

この家は、基礎部分から家全体が流されており、敷地からはみ出しています。


次に、内陸側に移設が決まったJR常磐線の山下駅を訪れました。

山下駅は駅舎もホームも残っています。しかし架線が垂れ下がり、線路が無くなっているところもあります。

津波で流されたという話もありますが、津波の水がひいた直後にトラックでガスバーナーを持ってきた人が、線路を切断して持って行ってしまったのを見ただけではなく、話をした、という線路沿いに住んでいた方からお話を伺いました。


途中、以前にビニールハウスを設置するために、畑の中から「がれき」と呼ばれる小さいゴミを取り除く作業をさせていただいたところに寄りました。

いまは2つのビニールハウスがあり、いちごマークのシールが貼られていました。

恐らく、山元町の名産であったいちごの栽培を再開しようという動きかと思われます。





そして、解体が決まり、つい最近「お別れ会」が開かれた山元町立山下第二小学校を訪れました。

そこにはすでにコンクリートを破壊する重機が準備されており、作業員が校舎の2階で作業をしているのが見えました。

近くの木には、解体に反対する人が書いたと思われるメッセージボードがかかっていました。


次に向かったのは、津波によって破壊された堤防です。



この堤防が破壊されたために、防風林がことごとくなぎ倒され、それが津波に乗って矢のように家々を突き刺し、破壊してしまいました。


山下駅の南側に向かって次の駅である坂元駅も訪れました。

この駅では、トイレの建物以外、駅舎はありません。跨線橋は残ったようですが、危険排除のためか撤去されており、私も写真でしか見たことがありません。

坂元駅は海に近いため、大きな損害をこうむりました。

海側の線路のみならず、線路を載せる敷石の部分からなくなってきます。

反対側の山側には、ホームを超えてきた波が作ったと思われるクレーターのようなえぐれた部分が横に広く存在しています。


次に向かったのは、2階建ての校舎の屋根まで津波がきて、屋根からヘリコプターで児童たちが救出されたという中浜小学校を訪れました。

中浜小学校の北側には、3月11日のまま残された墓地がありました。倒れたままの墓石、割れた墓誌。

しかし今回訪れたら、重機が入っており、墓石は一箇所に集められ、整地作業が行われていました。





この整地作業は、墓地を新しくするための第一歩と信じたいです。


中浜小学校は、モニュメントとして残す計画があるようです。



山下第二小学校は解体。

中浜小学校はモニュメントとして残す。

何か私の中で引っかかるものがあります。


山元町の最南端であり、宮城県の最南端でもある磯浜地区へ行きました。

ここにある小山には、30人程が避難しました。しかし多くの住民は、津波は来ないと考え、避難せず、最悪の結果になってしましたした。

磯浜漁港付近には住宅街が広がっていましたが、鉄筋コンクリートの店舗兼住宅だったと思われる一軒を除き、すべて無くなっているしまいました。



磯浜漁港周辺は、東北の湘南と呼ばれるような風光明媚なところだったそうです。

今では、堤防が壊れ、ビーチには消波ブロックが流れ着き、美しかった頃を想起させるものはありません。


そして、いま学生たちは普門寺を訪れています。


県道を走っていると、たとて興味深いというか、理解に苦しむ場面に出くわしました。


山元町の常磐線から東側、海側は、危険な地域であるという指定を町から受けており、人が住まないように、との計画を町は立てています。

しかし、その地域で歩道の補修工事が行われていました。

現在住民は住んでおらず、これからも住まないように、との計画を立てているのに。

また、アスファルトが無くなって砂利になっており、デコボコがたがたのところがあるのに、敷いてあるアスファルトをはがして、新たに舗装する工事もしていました。

以前、2m近くはあろうかという側溝のふたを開けて、数十センチ積もっている砂を撤去する作業も行われていました。

さらには、雨の日も晴れの日も散水車が水をまきながら道を走っていました。

なんででしょう???

これら以外にも、去年の夏から山元町で活動させていただいてきた間に、私の足りない頭では理解できないことを多く見かけました。

中山恵一(くま)

【くまプロジェクト】去年の夏から参加している学生が初めて参加した学生に、山元町の話やこれまでの活動の説明をしています。




昨年の夏から参加している、明海大学不動産学部の長谷川直紀くんが、今回、初めて参加している学生に、昨年からの活動についてや、山元町について説明しています。

くまプロジェクトが山元町で活動をさせてもらうようになった経緯や、活動してきた内容、被災された方々との関わり、そしてお祭りを開くまでになってきた過程など。

こうして、山元町とのつながりを持ち、それを語り継ぎ、大学生が知って行くことは、もても大切なことだと思います。

中山恵一(くま)

【くまプロジェクト】本日から山元町で活動。宿舎、仮本堂周辺の整備をします。

今回は、4名の学生が参加してきてくれています。

私を含め、5名で土曜日一日で、宿舎とさせていただいているところ、及び仮本堂があるところの駐車場を整備したり、仮本堂の入口に、雨が降っても訪れた方が濡れないように屋根を設置します。

中山恵一(くま)

Kuma Project Restarting as a Student-Centered Organization

Kuma Project Restarting as a Student-Centered Organization



Kuma Project was founded in March 2011. Now, we are trying to make a big change.

Kuma Project (K.P.) started to be a help for the devastated area, affected by the Great East Japan Earthquake. However, K.P. is not merely a “volunteer organization” but is an educational organization.

The reason why I founded K.P. was to give an opportunity for students to grow in every way so as to be an independent person rather than not just a follower. Therefore the concept of K.P. was students would make a plan, advertise, carry out, manage financially, and so on. In short, K.P. was intended to be a “student-centered” organization. However, in spite of this, I have been always a “leader.”

There were also other problems about my management. With the increasing number of volunteer working, we came to feel difficulty in keeping human, material, and economic resources. In addition, I began to have a sense of danger; our activities were gradually less careful and energetic. In another words, I may have been doing everything idly.

For these reasons, I have decided to divide into some divisions and assign each task to students. There are Planning, Public Relations, General Affairs, Accounting, and Media sections.

In Planning Division, it is expected to propose a plan more reasonably. Of course our working has to be of help for devastated areas. Additionally, as a mission as an educational organization, we should give students who have never been to such areas opportunities to participate in our programs to see what happened and what is happening in devastated areas.

A key for such students to participate is to provide “interesting” and beneficial programs for both students and local persons.

Since Planning Division members are students, they can make better programs attracting potential participating students than I. It is important to make a plan all the participants would feel they want to visit the areas again.


With a large scale of this reformation, I also reconsidered accounting to look into a long-term action. To date, participation fees have been substantially lower than the necessary expenses. This is because I wanted students to visit revitalizing areas without financial burdens on students.

Now, we are facing a big financial challenge to keep moving forward.

Staff members and I have been discussing about participation fee raise. It is so unfortunate but K.P. participation fee will be higher than before. We will try our best to improve financial problems, but I ask your understanding this raise.

I really appreciate your support so far, and please feel free to give us your idea and cooperation on our working and finance again if possible.

Kuma Project
Chair person,
Keiichi Nakayama

(Translated by Tori, Public Relations)

[くまP]体制を整えて、学生主体の団体として再出発です。

くまプロジェクトは、学生主体で運営していく教育団体として、2011年3月に設立されました。


この時期に設立したのは東日本大震災が起き、支援のために活動を開始したためです。


これまでは、「学生主体」と言いながらも、中山恵一(くま)が企画して実行し、学生がそれに帯同する、という形でした。


活動する回数が増えるに連れ、物的、人的、経済的なリソースを把握するのが困難になってきました。

加えて、活動に「慣れ」が出てきたり、甘えが出てきたり、一言で表すと、ダラダラ感で私がやってしまっているのではないか、という危機感を持ち始めました。


それを打破するために、企画にしても、被災した地域の一助になり、かつ、「ボランティア」と呼ばれる活動に初めて参加しようか、という学生がまた来たい、と思えるような企画を立案することが重要です。

特に、企画を担当する学生が、参加するであろう同じ学生の目線で立案することで、被災した地域の方も学生も、どちらも良い思いを持つことができるような企画を立ててくれることでしょう。


このようなことから、企画、広報、庶務、経理、メディアなどの部局に分けて、それぞれ担当を担ってもらうことになりました。



体制を整えるに当たり、活動を継続できるように会計を見直しました。

これまでは、一人でも多くのひとに、被災した地域を訪れて欲しいという思いで、参加費は必要最低限の金額を大きく下回った金額を設定していました。

しかし、現状では継続的な活動を維持することができなくなりました。


そこで、くまプロジェクトとしても財政状況を改善するために最善を尽くしてまいりますが、今後の参加費を大幅に見直させていただくことをご了承ください。


今後も、くまプロジェクト趣旨にご賛同頂き、作業面、財政面、ご意見などでご協力をいただけますよう、お願いいたします。

http://nakayamak.dyndns.org/kumaproject/


中山恵一(くま)

The Summer Festival Enjoying Great Popularity at Yamashita-Daiichi Elementary School

The Summer Festival Enjoying Great Popularity at Yamashita-Daiichi Elementary School

September 29th, 2012

Yamashita-Daiichi Elementary School was alive with summer festival on September 29. Yamashita-Daiichi Elementary School was the site of “Smile Project," conducted in March this year.

Today, 55 volunteers gathered. As one of the main events, we were going to offer a soccer training class outside, hosted by professional soccer players in Vegalta Sendai. Unfortunately, however, it was canceled because the ground condition was not so good. Therefore, the main venue changed to the gym.
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In today’s Kuma-Project, we took charge of a booth which mainly serves grilled food: grilled corn, frankfurters, and also Tonjiru (Japanese miso-soup prepared by stewed pork and some vegetables). We prepared a large amount of food: two corrugated boxes of frankfurters, 200 half cut corn at least, and two cylindrical pots which are full with Tonjiru.

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As a barbecue grill, we used a drum we borrowed from Otera Saigai Volunteer Center (Tera-sen). The drum was cut into two exact halves for cooking, and we barbecued food with provided bincho-charcoals. Since a bincho-charcoal takes long to catch fire, we first make them heat until these sufficiently got red and used an air compressor for an earlier set-up. It seemed to be out of standard though…

Our booth was open before 5 o’clock. We continued to serve just after 7:30 and had finally served everything. Unsold Tonjiru was brought to the guests directly, and then they were completely sold out. It was just like a high-pressured sale…

The festival style was all you can eat, 500 yen for adults and 300 yen for children. Here is the list of prepared food:

snacks: cotton candy, shaved ice, chocolate banana, pop corn

meals: beef tongue carry, fried noodles (yakisoba), okonomiyaki

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As entertainment, water balloons, mini sized Shinkansen model, the school emblem with the letter of “山一2012” illuminated by light, and the others were decollating the school.

I was very much pleased there were so many children who were the participants of Kuma-Project in this festival, and also they cheerfully approached to talk to me.

Now, we have already finished cleaning up after the event, and came back to the lodging which is such a lifesaver for us. It is a tentative house owned by chief priest of Buddhist temple, Fumonji. Students are making a journal to look back and think about how today’s work was going.

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By completing this form, they are able to review objectively what they have been doing and convert what they thought or felt through their experiences into letters. In this way, they can generalize them. This gives them a chance to think about how to make better use of their objectified experiences for their daily life, and then their life and works will be linked but not separated.

Educational activities are the main part of Kuma-project, so these reviews are essential in our team.

(Translated by Tori)

明海大学 別科 日本語研修課程 での英語の授業で、学生がお互いに知るためのアクティビティを実施しました。

明海大学には、日本で高等教育を受けるために、主にアジアですが、海外から日本で勉強するための日本語力をつけるため、大学付属の日本語研修課程(別科)が併設されています。

留学生は、もちろん日本語を学んでいるのですが、大学や大学院に進学してから必須になるのが英語です。

そのため、別科では選択科目として英語が初級と中・上級とで2クラス開講されています。

私が担当している中・上級のクラスには、中国、台湾、韓国、ラオスからの留学生が履修しています。


今日は、お互いにまだ知らない同士、クラスメートをよく知るためのアクティビティを実施しました。


Human BINGO というアクティビティで、5×5のマスに、「あなたは友だちと住んでいますか?」や「最近、転びましたか?」など、くだらない質問を入れながら、ビンゴを目指します。

途中、ビンゴが出来ている人が、どうやって出来ていない人を助けることができるか、出来ていない人は.どうやって助けてもらうか、を考えて、全員がビンゴになるように助け合う方法を考えます。

これ以外にも、二人一組になり、お互いのことを深く理解出来るようや自己紹介をします。

~です。
~出身です。
趣味は~です。
よろしくお願いします。

こんなの、ぜーんぜん自己紹介になっていません。

これでは、その人を構成している特徴的なことは、何一つ分かりません。


これまで、どのようなことに重きをおいて生活してきたのか

人生で大切にしていることはなにか

人との関わり方で特徴的なことはなにか


…などなど、なんでもいいのですが、名前を言わなくても、特徴を列挙していけば、聞いている人が「あー、それ~さんのことでしょ?」と人物を特定できるような、そんな自己紹介およびパートナーからの質問に答えてもらいます。

それが済むと、別のペアと一緒になり、自分のパートナーを新しいペアに紹介する他己紹介です。

自己紹介も、自分で自分のことを理解していなければ難しいですし、他己紹介もパートナーのことを理解していなければ難しいものです。


下の写真は、Human BINGO の
様子です。



これは、自分のパートナーを紹介している最中です。



中山恵一(くま)

赤い羽根共同募金 街頭募金のお手伝い@JR新浦安駅

「赤い羽根」

見たこたがない人、知らない人はほとんどいないと思います。

学校や町内会、駅などでの呼びかけ

たまに見かけると思います。


有名ではありながらも、その募金の使われ方や集められ方など、あまり知られていません。


赤い羽根共同募金は、各自治体にある「社会福祉協議会」が担当となり、「中央募金会」が主催するものです。


募金は、その趣旨に賛同し、役に立てて欲しい、という気持ちをお金として表すものでしょう。

計画的に、効率的に、募金を集めるために、学校や町内会で行うことは必要なことでしょうが、赤い羽根のことをよく知らなくても、

「学校の先生に言われたから」

「町内のみんながやるんだから」

…と、本来の募金の考え方ではない動機付けで「募金」という呼ばれ方をするお金を出していることはないでしょうか。


街頭募金であれば、本当に募金をして下さろう、という方々から、直接募金をお預かりすることができます。

募金をして下さる方も、「顔が見える募金」と感じることができるかもしれません。

そのため、街頭募金は、とても重要なのです。


今回、浦安市社会福祉協議会からお話があり、明海大学のがくせいが、街頭募金の呼びかけをしました。


最初は小さかった募金への呼びかけ声は、徐々に大きくなり、終了予定時刻を過ぎましたが、「風船がなくなるまでやろう」との意見が出て、いま、明海生の声が新浦安駅前に響いています。











中山恵一(くま)

くまプロジェクト2012年9月 山下第一小学校でのお祭りの手伝い企画は、無事に終了しました。JR京葉線が運転取りやめになったために歩いて川向こうの駅まであるこうとして、橋を渡れなくなった方々をピストン輸送したのが、今回の最後の活動?でした。

雨は収まってきていましたが、風があまりにも強く、高速にいたオートバイは、路側帯を両足を地面に付けながら移動していました。

トラックは風を受ける面積が広いため
風に押されて車線を外れていました。

私も、まっすぐ走るのにハンドルを右や左に曲げなければ車線をはみ出そうでした。

ラジオの情報で、運行を取り止めた路線数がかなり多くなってきていること、学生が帰宅途中に風にあおられたり、飛んできたものがぶつかったり、という危険もありましたので、全員、自宅まで送り届けました。


東京都江戸川区に住む学生を送り届けた後、浦安へ向かい、江東区とを隔てる荒川沿いを走り、国道357号線(湾岸道路)に出る直前で、10人ほどが集まっており、その中の人が手を振っていました。

車を停めて話を伺うと、JR京葉線が葛西臨海公園駅と新木場駅の間の荒川に架かる橋を強風のために越えられず、運転が取り止めになったために、新木場駅まで行こうと歩いていた一団であることが分かりました。


ディズニーリゾートに来た人

ディズニーリゾートで働く人

舞浜駅近辺であった声優のイベントに参加した人

おなじく、舞浜駅近辺であった俳優のイベントに参加した人

大阪から来て、帰りのバスに乗れなかった人数名


女性ばかりの方々でした。

葛西臨海公園駅で電車を降ろされた方々は、警察官の指示に従って、新木場駅まで歩いていましたが、荒川を渡る橋の歩道を見つけることができずに、川の堤防まで来てしまっていました。

その場所から新木場駅までお送りしました。

まだ運行しているだろうと思われる東京メトロ有楽町線で東京駅まで行き、そこで状況を見る、とのことでした。

私の記憶によると、有楽町線の最終電車は終わっていた時刻でした。

ただ、こういう事情の日ですから、通常ダイヤを変更して、この人たちが目的地まで行くことができたことを願うばかりです


そして、いよいよ最後の学生を自宅に送り、今回の企画は終了しました。


荷物??? そんなもの、放置です、放置!

日本で良かったなぁ、と思う瞬間です。

アメリカなら、荷物が入っていることが見える車は、車上荒らしに招待状を渡しているようなものです。

私がアメリカ・ミネソタ州に住んでいたある冬の夜、車上荒らしに逢いました。

日本から持って来たり、送ってもらったCD、友人から借りた日本のCD、工具セットなどが盗まれてしまいました。

次の日に、車を出発させようとしたら、妙に運転席と助手席の間に空間があるなぁ、

運転すると、妙に風切り音がするなぁ、

と思ってた後ろを見たら、ガラスが割られている…

運転席と助手席の間に置いていたCD一式がない…


中古販売店に売られていないかとさらに翌日探しに行って、無いことが分かって車に戻るとパーキングメーターが数分遅れただけなのに駐車違反金の納付先が書かれた封筒を渡され…


話がズレました。

ともかく、寒い冬の夜。

そんな日にも盗みをしなければ生活できない人もいるんだなぁ、と思うと、かわいそうに思うようになってしましました。


とにもかくにも、ケガや病気がなく、無事に企画が終了しました。


次回は10月末の予定です。

中山恵一(くま)
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